汚泥処理について(2)

2015.03.10汚泥処理

下水汚泥における脱水処理の機械化は、昭和35年、芝浦下水処理場にオリバー型真空脱水機の採用からで、下水汚泥の処理は嫌気性消化と機械脱水が標準化され、それらの施設は汚泥処理工場と呼ばれるようになったそうです。

昭和37年には砂町処理場の汚泥処理工場が稼動し、同年開設した小台処理場には当初から汚泥処理工場が計画・建設されました。これらの汚泥処理工場は消化槽から発生する消化ガスによる発電計画を有していましたが、当時の下水汚泥の有機分が50%程度と低く発生ガス量も少なかったので発電計画の実施は延期されていました。

実現したのは、小台処理場で消化ガス発電設備が稼動した26年後の昭和6310月のことです。

嫌気性消化には広い用地と高額な建設費を要した。このため生汚泥を消化処理せず直接脱水することが検討されていた。さらに昭和30年代の後期には、汚泥の最終処分地の確保が困難となり、汚泥の減量化及び質の安定化を目指した汚泥焼却が検討され始めました。既に汚泥焼却炉を導入していた川崎市、一宮市、名古屋市などの運転実績を参考に検討を進め、昭和42年5月1日には小台汚泥処理場に100t/日(8段、外形5.71m、高さ11.58m)の立型多段焼却炉(以下「多段焼却炉」という。)が稼動し、その後、汚泥焼却の効率化を図るために徐々に規模の大型化を図り、昭和488月、砂町処理場で300t/日の多段焼却炉の運転を開始した。このように規模の拡大とともに汚泥の焼却処理が標準化されて消化槽の建設は行われなくなってきた。